空しい夢なんて言わないで
- サクライユウコ
- 2018年8月21日
- 読了時間: 5分
坂本竜馬が教科書から姿を消す、とか
吉田松陰が、新選組が、とか。
残念ながら、ついにそんな時代になってしまった。
数えきれないかけひきややりとりがあって
負け、討たれ、別れ、諦めて、それでも、
鼓舞しながら、誓い合いながら、倒れていった志士たち。
時代が大きく舵を切ったのだから、
背景にそれは多くの出来事があったことは
想像に難くない。
背景を知るからこそ歴史の大きなうねりがわかるのに、
負けた人、出会いや結びつきを生んだ人たちを知らずに
何が歴史なのだろうか。
知識とは、興味とは、学びとは、なんだろうか。
随分一方的な気持ちを書きましたが、
今回は4pointsの「春風」について。
曲の全体像はリーダーが気に入ってあたためていたもので
デモをもらってから一度は寝かせたものの
メロディだけでなく歌詞も、
(私にしては)早いうちに大方が出来上がっていった。
ストーリーとしてしっかり組み上げたのは
モチーフが見つかってタイトルが決まったあたりで
例にもれずレコーディングに向けて本腰を入れた頃。
インプットしていたのは「大河ドラマ」だった。
「真田丸」が大変な人気を博して放送していた頃、
前年放送の「花燃ゆ」を一気見していた私。
松陰役の伊勢谷さんは高校の頃から好きだったし、
近年の活動についても知っていたので、
リアル吉田松陰…!と拝見した。
なんとなく、不器用で気真面目な久坂が好きで、
演じる東出さんと伊勢谷さんを中心に見ていたが、
彼が出てきて一発で持って行かれた。
高杉晋作を演じた、高良健吾さんだ。
それまでも大河ドラマを見る習慣はほとんどなかったが、
急に見始めた理由も特にない。
(官兵衛も真田丸も直虎も、全部録画はしていたが見られなかった)
「花燃ゆ」を見始めた理由は特にないが、最後まで見られたのは
幕末にほんの少し興味があったからかな、と思う。
今となっては「銀魂」を好きになったので
幕末から明治、長州藩や薩摩藩、土佐藩など、
知識を深めたいし訪れたいと思う場所もできたが、
「花燃ゆ」を見ていた頃はそうでもなくて
一般的な知識と興味程度でドラマを見ていた。
伊勢谷さんの松陰役は本当に良かったと思う。
嘘がなくて、とっても魅かれた。
この人を師とし、ともに学び、ともに高めあって行けたのなら
志を掲げられたのなら
自分の生のすべてを以て果たしたいと思うだろう。
けれど人にはそれぞれ考えがあって、
全く同じ考えの人はいないし、
全く同じ境遇の人さえいない。
高杉と久坂は全く違う境遇で、喧嘩して、違う方法で
奮闘し朽ちていった。
ほんの少し久坂贔屓で見ていたはずなのに
高杉を演じる高良健吾さんの“眼”が、
本当に綺麗で力強く、溢れる自信と悪戯心を持っていて
もしこれに肩を並べて走ることが出来たなら
それはそれで最高の人生だろうな、とモブ視点で思ったことを覚えている。
そんな高杉が妻とは別に、共に過ごした女性がいた。
遊女・おうのだ。
高杉は、名家の娘で美人と呼び声の高かった雅子と婚姻を結んだが、
戦いに身を投じており、なかなか自宅には帰らなかったようだった。
息子が2歳になるころに出会ったおうののもとで生活し、
妻と息子を寂しがらせていたことと思う。
高杉作、ともいわれている都都逸で
「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」というものがあるが、
(あなたとともに夜を過ごしたけれど、朝になって烏が鳴くから
あなたはここを出て行ってしまう。
すべての烏を鳴かないように殺してしまって、
朝になっても共に眠っていたい。)
高杉作というよりは、遊女目線ではないか。と、浅はかな私は思う。
松陰の死、自分の病、国を護るという志、
家を護ること、そばに置いて守りたい女。
高杉の愛情は、どこにあったのだろうか。
そばで見ていた女は、そんな高杉をどう思っていたのだろうか。
高杉と過ごした遊女・おうの の目線をモチーフに描いた「春風」のストーリーは
本当は大切にしたいけれど大切にさせてくれない、
ずっとそばにいたいけれどそばにいさせてくれない、
最期はひとりで逝ってしまう人、のことを想って作った。
堂々と隣に立てるわけでもなく、
共に戦場を駆けることも、戦うこともできない。
彼が訪れたその時に、ただそばにいる。それしかできない。
けれどそれが彼にとって大切であったなら。
自分からは縋らないように、一過性のものとして捉えて、
引き止めないように、邪魔をしないように、
別れることに鈍感に、慣れてしまえばいいと思った。
“大切を手離す”ということに、慣れてしまえばいいと思って描いた。
それはただの執着だし、愛情のかたちだとも思う。
タイトルには高杉の忌み名である「春風」とつけた。
高杉がこの世を去ってから出家し、その身を高杉に捧げたおうのは
自分だけの幸せを見つけたんだろうと思う。
ただ、少し哀しい。
幸せにはいつも、哀しみが寄り添っている。
志半ばで病によってその生を終えることの哀しみは
高杉晋作や沖田総司などが挙げられるが、
その時代にも、今現在にも同じく、
志半ばで病に倒れ、この世を去る人がいる。
そして今も、闘病生活を送る人がいる。
どうか「空しい夢」なんて言わないで、
自らの志を立て、一生懸命に歩いていきましょう。
大事を成して身を立てることも、ただ誰かのそばにいることを選ぶことも、
子を育てて笑顔いっぱいに過ごすことも、学びを生かして財を成すことも、
どれも立派な志だと思うから。
その志は、人それぞれだから。
一生懸命に向かえば、
きっと最期は笑って、迎えられるはずだから。
まとまりませんが、すみません、この辺
次回は、「オートライトが標準装備になったんだから、そろそろオートワイパーになってもいいと思う今日この頃」について。
では、また。
『空しい夢なんて言わないで』4points・春風について
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